ハワイと日本の歴史 戦艦ミズーリ記念館

戦艦ミズーリ記念館

戦艦ミズーリの歴史

戦艦ミズーリ(BB-63)は、”マーティー・モー”の愛称で米国民に親しまれており、アメリカにおいては最後に完成し、最後に退役したため、最後の戦艦と呼ばれている。昭和16年1月6日に、ニューヨークブルックリンのニューヨーク海軍造船所で造船が開始された。3年後の昭和19年1月29日に進水式を迎え、その際命名者となったのが、当時ミズーリ州選出の上院議員であったハリー・トルーマンの愛娘マーガレット・トルーマンであった。

同昭和19年6月に就役した後、第二次世界大戦中は主に太平洋を中心に活動。昭和19年12月24日、パールハーバーに寄港、昭和20年に空母レキシントン率いる艦隊に加わり、同年2月19日からの硫黄島上陸作戦を支援した。また3月には沖縄での攻撃作戦、4月の沖縄上陸作戦に参加し、海上から砲撃を行う。4月11日、初めて特攻隊戦闘機(一機)の攻撃を受け、右舷甲板後部(フレーム165付近)に破損を生じた。

昭和20年8月29日、ミズーリの艦上にて、マッカーサー元帥率いる連合軍側と重光葵全権率いる日本政府代表との間で調印式が行われた。

神風特攻機衝突跡

戦艦ミズーリ右舷甲板後部(フレーム165付近)には神風特攻機衝突跡が今でも見ることができる。1945年(昭和20年)4月11日、沖縄海域にて上空葯30メートルから1機の神風特攻機がミズーリに向けて突入、右舷艦尾付近に衝突した・

降伏文書調印式会場

1945年(昭和20年)9月2日、東京湾内に停泊していた戦艦ミズーリの右舷01デッキにて調印式が行われた。マッカーサー元帥を始めとする連合軍代表と、日本からは政府全権重光葵外務大臣、大本営全権梅津美次郎参謀総長の他総勢11名が出席しました。これにより第二次世界大戦が公式に終結を迎えた。

 

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参考文献

戦艦ミズーリ記念館 (2014) 「ツアーマップ」 戦艦ミズーリ記念館

戦艦ミズーリ記念館 (2014)「戦艦ミズーリ概要」 http://www.missouri-kinenkan.org/index.php?option=com_content&view=article&id=3&Itemid=106  戦艦ミズーリ記念館(閲覧日2014年3月2日)